2023/01/30

要らない苦労と海馬

今から約50年前。
私は口唇裂顎裂の状態で生まれた。
父方の祖母は
「こんな汚い子うみやがって」
と出産直後の母の枕もとで吐き捨てた。
どんな空気が流れていたのだろう。
きっと「おめでとうございます!」
の言葉がなかったのは確かだろう。

小さいころは
誕生日がくると無邪気に喜んでいたが
祖母の話を聞いてからは
誕生日がくると
出産時の母の気持ちと
歓迎されなかった赤子の私を
想像しては泣いた。

物心ついた時から
「あの顔みて」
「気持ち悪い」
と数えきれないほど
指をさされてきた。

大脳皮質うすっぺらい輩に
嘲笑される日々は
まさに生き地獄。

この地獄を生き抜くには
勉強もスポーツも1番になることだと
本能的に感じていたのか
暗黒中学時代は
勉学・運動ともに猛烈に打ち込み
トップクラスの成績を死守し続けた。

高校はまずまず快適に過ごせた。
大脳皮質がちゃんと発達している集団。
あからさまに笑う人間は激減した。
そのため完全に気を抜いてしまい
勉学の成績は落ちるところまで落ちた。

高校を卒業してからは
化粧で傷を隠せるようになり
笑われることはほぼなくなった。

25歳ごろ。
職場の院長に
「傷が気になるなら紹介状書くよ」と言われ
「もう気にしていなかったのですが…
 そう言われると気になってきました」となり
金沢医科大の形成外科で
Abbe Flapを受けるが失敗。
「ここ変じゃないですか?」
と指摘したら
「じゃあ、元に戻そうか?!」
と医師に激怒された。最低。

その後、広島大学の院を受験して合格。
2001年春。金沢から広島へ引っ越す。

30歳ごろ。
手術でできた傷がどうしても気になり
形成外科を受診。
「あー。これは失敗だね」と言われる。
やっぱり。。。
瘢痕修正手術(Z形成術)を受ける。

それから20年後。
加齢のせいか傷が目立つように…。
「え?」みたいに2度見されたり
「ここどうしたの?」と指摘されるようになり
メイクでも隠し切れなくなる。

「これで最後にしよう」
思い切って2度目の瘢痕に対する手術を受けることにした。
今ある傷を切って取り除き、縫い合わせる作業。

2022年10月下旬。

手術台に上がると
いろいろな思いがこみ上げて
自然に涙が溢れた。

「涙、出るよね・・・」と優しく声をかけて
手を握ってくれた看護師さんに感謝。

今、術後3か月が経過。
まだ傷が赤い。かたい。
あと3か月はテーピング。
家の中でもマスク生活。

生きているだけでもいろいろあるのに
それプラスこの苦労。要らない。

何を思ったのか
唐突に息子が放った一言。
「別に整形が悪いとは思わないんだよね」

私「整形?全然違うし」

息子「いや。別に整形が悪いとは思わないんだよね」(←なぜ二度言う)

私「整形って何?一緒にせんでくれる?こっちは生まれつきの疾患!」

息子「そこまでムキに怒らんでもw」

コバカにした口調にブチギレた。

私「今、ぶん殴ってやりたい気持ちでいっぱい!
  同じ目に遭ってみろ!
  いじめの次元じゃない!
  人間として扱われないの!
  何も悪いことしていないのに
  気持ち悪がられるの!笑われるの!」

と絶叫発狂。

息子は「謝ってるだろ!」と
逆切れしながら泣いている。
わやくそ。

息子に神経を逆撫でされたせいで
その後、何時間も
昔の記憶がよみがえってきて号泣。

悔しかったな。
苦しかったな。
誰も手を差し伸べてくれなかったな。
でも一度も学校休まなかったな。
あの地獄を越えられたのだから
もう怖いものなしだな。
誰もほめてくれないから
自分でほめてあげよう。
当時の自分を抱きしめて教えてあげよう。
地獄はもうすぐ終わる。安心して。ぎゅーーー

でも普通に生まれたかったな。

考えても仕方ないこと考えて
まだ涙が止まらない。

「その苦労があったから
 強くなれたんじゃん!」
と昔、友達になぐさめられたこともあった。

「そんな苦労しないと強くなれないなら
 そんな苦労せずに弱いままでいい」
と即答した記憶もよみがえってきた。

どううまく解釈しようとしても無理。
本当に要らない苦労。

40年以上たっても
脳裏に刻み込まれた記憶。
厄介。

記憶には短期記憶と長期記憶があって
海馬が短期記憶を長期記憶にするかを
選別するらしい。
強烈に苦痛な出来事なので
海馬は長期記憶にするべきと判断して
側頭葉に送り込んだのだろう。
迷惑な話よ。

最後に・・・。

両親には
深く感謝。

祖母の言う「汚い子」を隠そうとしなかった。
ごくふつうにむしろ雑に育ててくれた。
内心は葛藤があったとは思うが
少なくとも私にはそれが伝わらなかった。

いろんなところに連れて行ってくれたし
毎朝一緒にジョギングもしてくれた。
川崎医科大の口腔外科の通院には
車で1時間半もかかるが
いやな顔せずに
高校卒業までずっと送迎してくれた。

中学までの記憶は全てなくなっても惜しくないが
家族との記憶はいいとこだけ残しておきたい。

海馬さん、
いいとこどりで選別
お願いします。